夫は所詮他人 だからうまくいく

しっぽのきもちブログ
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誤解のないように最初に言っておきますが、私は夫が大好きです。ぞっこんloveです笑
 
外でしっかりしている(?!)ぶん私たちは家で甘えん坊炸裂なのですが、以前何かの話の流れで「夫婦は所詮他人だから」ということを言ったら、夫にめちゃくちゃ悲しい顔をされたことがあります。
 
夫婦は他人。私の中ではかなりはっきりそう思っています。こう思うようになったのは昔の恋人にこっぴどく振られた経験からなのですが、若かりし頃の私は、「あなたなしじゃ生きていけない!」「あなたが全て!」的な、かなり厄介な女でした。・・・あ、これは今も変わっていないかもしれません。
 
それほどにまで思っていたのに、振られちゃったんですね。それはなぜか。今考えると自分の異常さに血の気が引く思いですが、常に「私のことが好きなら◯◯してくれるはず」「私のことが好きなんだから◯◯してくれて当然/◯◯してくれないのはおかしい」というスタンスでいました。白状すると、当時もこのおかしさに薄々気づいてはいたものの、若さゆえにコントロールができなかった、さらに白状すると、自分の考え方に添わせようと必死になっていたのです。
 
関係が綺麗さっぱり清算されてから、親や妹たちや友だちといろいろなことを話し、新しい人間関係ができていきました。その過程である時ふと気づいたのが「みんな所詮他人」ということでした。
 
他人つまり私じゃない人。私以外。そうですよね。だからこの「所詮他人」という感覚は、夫に限らず全ての人に対してそう思っています。どんなに好きな相手でも、私じゃありません。親も子どもも他人です。私の思ったような行動も考え方もしてなくて当然ですし、何かに対する感想や反応も違って当たり前です。「好き」の表現方法が私の思い通りじゃなくても、相手は何も悪くありません。その人にはその人なりの愛情表現があるわけで、私にできるのは、自分のやり方を強制することではなく、相手が表現した愛情をうまくキャッチできるようにすることなのです。メールの頻度やLINEの返信、負のスパイラルに陥りがちなものも「相手は私じゃない、相手には相手の都合がある」と自覚できない限りこの連鎖からは逃れられないし、昔の私のように「どうして×××なの!?」と相手を責めてしまうでしょう。
 
なんだか答えを先延ばしにしているみたいな書き方ですみません。
私は、「所詮他人」というのは「相手を一人の人間として認めること」だと思います。
他人だから、伝わらなくて当然。伝える努力を惜しまないこと。思いやりを持って接すること。丁寧に扱うこと。
 
こんな簡単なことに、若かりし頃の私は気づいていなかったのです。
 
ただこれもかなり極端な考え方で、共感を得られない場合も多いです。この思考回路を話しても、夫には未だに悲しい顔をされてしまいます。笑
 
大好きです。大切な人だからこそ、他人であることを忘れずに向き合いたいのです。自分と相手の境界がなくなるぐらい自己中心に振る舞ったという前科持ちの私はなおさら、このことを大事にしていかないといけないなと感じています。
 
さらに言うと、他人だということが分かっていれば一緒にいることが当たり前じゃないということに気づけます。この関係が一生続く保証はどこにもありません。だからこそ感謝したり、「嬉しい」と思ったことを言葉にして伝えたり、方法は人それぞれでいいと思いますが「あなたがいてくれてよかった」というメッセージを送り続けることが大切なのではないでしょうか。少なくとも私は今の関係に胡坐をかくことなく、夫と寄り添って生きたいと思っています。
 
他人である夫が私の隣にいてくれること。これは当たり前のことじゃないし、常に“どうにかなってしまう可能性”を孕んでいるものだと私は思っています。夫はそうは思っていません。この話をすると嫌がります。でも私は、そうだからこそ今目の前にいる夫を丁寧に愛したいと思いますし、この先もずっとずっと一緒にいるために今できることをしていきたいと考えています。
 
もちろん、「夫は他人じゃない、家族だ」という考え方もアリです。私も家族か他人かという区別なら家族を選びます。「自分のことのように思っている」のもアリです。体調不良の時に自分のこと以上に心配するとか、何かうまくいったら自分のことのように嬉しいなどがそれですね。
はい。その時の「他人」と、今回長々と語ってきた「他人」、指しているニュアンスに違いがあるのが伝わりますでしょうか。
 
自分語りが過ぎましたね。笑
「夫は他人」とい考え方、みなさんはどのようにお考えですか?
 
 
 
 
 

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